南風原町の紹介! 【後編】

南風原町の各字の紹介の後編です。

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歴史と伝統 津嘉山

南風原町にある御嶽の中でも最も古い御嶽で、「公方」とは「発祥」の意味で、
津嘉山地区に人が初めて住んだ場所ともいわれており、周辺からはグスク時代の遺物や人骨が発見されるなど、
歴史的にも貴重な地域です。
今でも、各門中(もんちゅう)や地域の代表者が感謝の意をこめて、この聖地を拝んでいます。

新川

新川区は首里高地から張り出した台地の御殿地(うどぅんちー)に発達した集落で、平野部の新川地区と盆地上の東新川地区から成り立っています。

旧盆の道ジュネーや新川エイサー祭りなど、さまざまなイベントでその勇壮な演舞を披露しています。
八重瀬(やえせ)町新城(あらぐすく)青年会に指導を仰ぎ、新しい新川のエイサーを後世へ引き継ぐため、青年会の組織固めにも取り組んでいます。

羽衣伝説  宮城

300年以上も昔、宮城に大国子(でーこくしー)という人が住んでいました。ある日、野良仕事の帰りに、どこからともなくいい匂いが漂ってきました。不思議に思いあたりを見回すと、御宿井(うすくがー)で美しい女性が長い髪を洗っていました。あんまり美しいのでしばらくみとれていましたが、やがて木の枝にかかっているきれいな衣に気づきました。
大国子はこっそり近づきその衣を盗み、大急ぎで家へ持ち帰り、高倉に隠してしまいました。大国子が御宿井へ戻ると、女はしくしく泣いています。声をかけると「髪を洗っている間に着物がなくなってしまったのです。これでは家に帰れません」と泣きながら言いました。
大国子が「それでは着物が見つかるまで私の着物を着ていなさい。私の家はすぐ近くだからそこで休んでいなさい」と誘いました。その後、二人は仲良く暮らし、やがて子供も生まれました。ある日、女は子供たちが歌っている子守唄を聞いて、羽衣が隠してある場所を知ります。羽衣を見つけて羽織ると、ふわっと空に舞い上がり、どんどん天高く遠ざかって行きました。
それを見た子供たちや村人たちは「くまどぉー!くまどぉー!」(ここだよ、ここだよ)と叫びながら追いかけましたが、女の姿は与那原の久場塘(くばどう)で消えてしまったそうです。御宿井には、今でも女のジーファー(かんざし)が落ちていると伝えられています。

喜屋武

喜屋武では、昔から新築や結婚などのグスージ(お祝いごと)の席で、赤飯や三枚肉などのごちそうとともに、ちょいと変わった一品が出されます。「喜屋武のソーメン」は、汁がほとんど入っていない器に、そうめん、豚肉、紅ショウガだけというシンプルなものですが、これがなかなか美味い。
豚肉のだし汁で茹でたそうめんは、ソーメンチャンプルーともソーメン汁とも違う不思議なおいしさで、今でも喜屋武のお祝いの席には欠かせないごちそうです。

浦島伝説 与那覇

沖縄では珍しい浦島伝説が残っているのが与那覇です。
ウサンシー(穏作根子)は気品の高い若者でした。ある日、与那久浜(よなくはま)でかもじ(女性の髪に添えつける髪)を拾い持ち主を捜していました。
現れた持ち主はとても美しいお姫様で、 姫はとても喜んでウサンシーを善人だとほめ竜宮へ招きます。
竜宮では時の立つのも忘れるほど厚いもてなしを受け、3ヵ月が過ぎた頃ウサンシーは帰ろうと思い立ちました。
竜宮の神は「すでに三十三代という時間が経っている、ここで楽しんだらよかろう」と止めましたが彼は故郷が忘れがたく帰る事になりました。 姫は名残を惜しんで「この紙包みを私と思い持ち帰ってどんな事があっても開けないでください」と手渡しました。
故郷に帰ったウサンシーを知る者はやはりいません。
一人寂しく村の前の丘に登って行きました。
そして姫からもらった紙包みを開けると中には白髪が入っていました。 それがウサンシーの体につくとウサンシーは急に老化し死んでしまいました。ウサンシーはその場所に葬られ、その場所はウサン嶽(だき)と名付けられたんだとか。