沖縄県南風原町の紹介!

みなさんこんにちは! アイエー住宅販売です。
僕は南風原町の出身です。母も父もおじーもおばーも南風原出身です。 僕の地元の南風原町についての記事を書いて行きたいと思います。 一度に紹介しきれないので複数パートに分けての記事にしたいと思います。

南風原町!各字の紹介!!

山川

沖縄県内でも屈指の野菜の産地として知られており、近代農業地が広がる山川は、平成16年に、南風原かぼちゃの拠点産地に認定されました。
へちまは生産量日本一としても知られており、
2009年度には、農業用水の安定供給と活気あるユイマールのふるさとづくりが認められ、「沖縄ふるさと百選」を受賞!!
日頃から、ユイマール(助け合い)で土地改良施設などの維持管理を行い、農産物の安定生産・供給に地域一体となって取り組んでいます。

宮平

琉球王朝時代、尚寧王(しょうねいおう)が各間切に番所を設置、南風原の番所は宮平に置かれました。宮平がドゥ(中心)と言われるゆえん。

別名「ウガンヌメー」ともよばれる拝所(うがんじゅ)で、宮平の村づくりをした善綱大屋子(よこつなうふやく)が住んだといわれ、後方には彼のお墓があります。

1949年、戦災で破壊された御嶽3カ所。字内の拝所9カ所、カー(井戸)5カ所の神々を一カ所に集め、ウカミヤー(御神屋)を仮安置。現在のウカミヤーは、2000年に建て直したものなんだとか。

本部

集落内を歩けば“シャラーントントン”と、はた織りの音が響く、琉球絣の里、本部。多くの絣工房が立ち並びます。
また、県内では唯一、全国でも2カ所しかないという織機屋「大城(おおしろ)織機製作所」が残っています。現在、選定保存技術保持者である、二代目・大城義政(おおしろよしまさ)さんがつくる織機はオリジナルのもので、全国から注文があります。

兼城

兼城を舞台にした大狂言「カシチー由来記」はムラの伝統芸能として今も行事の際には演じられています。
約500年前、急死した兼城按司(かねぐすくあじ)の娘が墓の中で生き返り、それを牛買いの青年が助け出すという昔話です。
お祝いに赤カシチー(赤飯のおこわ)を炊いたことから、旧暦8月10日のカシチー行事の由来となっています。 今でも兼城では、カシチーの日には、赤飯と牛肉を味噌で味付けした料理を作り、桑の葉とすすきを結んだサンに牛の血をつけて、家の門や屋敷の四隅に差し、家族の健康と家内安全を願います。

照屋

照屋を守護している神々が祀られているノロ殿内(ぬんどぅんち)、ムラの入口で邪気返しの目的で置かれたシーサーなど、多くの史跡を見ることができます。

神里

県内でもめずらしい獅子舞が舞う
神里の獅子舞は、面が赤色で牙があり、額に三日月が描かれているめずらしいものです。獅子舞には雄雌がありますが、三日月の描かれた神里の獅子は雌で、県内でも二カ所しかない貴重なものです。
本部(もとぶ)の獅子と雄雌一対だといわれています。口を大きく開き、それを強調するような動きが特徴で、後ろ向きに退場
十五夜には集落内にあるムートゥヤー(門中)を練り歩いて厄払いをします。獅子の保管はもともと、仲門(なかじょう)家が行っていましたが、ある日、代々男の子がひとりしか生まれず家系がなかなか繁栄しない田本(たもと)家の人が、「仲門家は獅子を崇めて繁栄しているから私たちにも獅子を貸してくれ」と頼みに来ました。それ以降、獅子の保管は田本家が行うようになり、男の子も増えたという言い伝えがあります。

大名

道路拡張で今はなくなってしまった、照喜名商店。よく行っていたので寂しいです。

大名(おおな)は与那覇(よなは)の久米原(くめばる)、宮城(みやぐすく)の大名原(おおなばる)・宮城原(みやぐすくばる)の3つのヤードゥイ(屋取/移住してきた人々が開墾してできた)集落を合わせて、1951年に新しい行政区として誕生。

残りの新川、宮城、喜屋武、与那覇は次回書きたいと思います!!