沖縄の世界遺産~園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)、玉陵(たまうどぅん)~

はいさい!こんにちは!アイエー住宅販売です♪

最近、朝方と夕方が寒くて、日中は暑いですね~

寒暖の差で体調を崩しやすい季節になってきているので、みなさんも気を付けてください!

また、はしかも流行っているみたいなので、小さいお子さんがいる方は予防注射などをして気を付けてくださいね!

今回も沖縄の世界遺産!早いものでもう第11弾になりました!!

沖縄の世界遺産も園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)と玉陵(たまうどぅん)で最後なので、お楽しみください♪

園比屋御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

守礼門と観会門の間にある石でできた門が、園比屋御嶽石門です。軒があり、まるで木造建造物に見えるが、近づいてみれば琉球石灰岩で作られていることに気づきます。

石門の背後にある森が園比屋御嶽石門です。国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所で、形は門になっているが人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」。

また、聞得大君が就任するときにまず最初に拝礼した、いわば国家の聖地だったと言われています。

王家尚氏ゆかりの島である伊平屋島の神「田の上のソノヒヤブ」勧請し、祭っている。もともとは今よりも広範な森であったが、現在では小学校の敷地となっている部分もあり、残されているのは一部である。

園比屋御嶽石門は、1519年に第二尚氏王統第3代王の尚真王のときに造られた。オヤケアカハチの乱(1500年)で王府軍が八重山へ出兵した際に、将の一人であった大里親方に見込まれ首里に連れてこられた西塘により創建されたという。

1933年に旧国宝に指定されたが、沖縄戦の戦禍によって王城などとともに荒廃し、指定解除されました。1957年に復元され、さらにその後旧石門の残欠を再利用して修復作業が行われた。現在の石門を注意深く見てみると、明らかに摩耗の度合いが異なる部分があるのは、このためである。1972年にあらためて国の重要文化財に指定され、2000年(平成12年)に世界遺産へ登録されました!

また、西塘によって作られた竹富島の国仲御嶽は、園比屋御嶽の神を勧請した御嶽である。

琉球王朝の王族が眠る 玉陵(たまうどぅん)

1501年、尚真王が父である尚円王の遺骨を改装するために玉陵をつくり、以後第二尚氏王統の陵墓になります。

沖縄県最大の破風墓で、「玉陵」と名が付く墓所はほかに「伊是名玉陵」、「山川の玉陵」がある。

玉陵は中室、東室、西室の3つの建築物にわかれている。中室は葬儀のあと、当時の琉球の葬制に基づき遺骸が骨になるまで放置し、数年後に骨を取り出して洗骨した。洗骨したあとに遺骨を骨壺に収め、王及びその妃の骨は東室に納められ、他の王族は西室に納められた。建造物の外は外庭、中庭に石壁で仕切られ、中庭にはサンゴの破片が敷き詰められている。

第二次世界大戦末期には、日本軍総司令部に近かった玉陵は首里城と共に集中砲撃の巻き添えにあい、東室・西室が破壊されるなど大きな被害を受けた。現在見られる大部分は第二次世界大戦後に復元されたものである。

また、第二次世界大戦で亡くなった旧制沖縄県立第一中学校(現・首里高等学校)の生徒を弔うための「一中健児の塔」などが近くに建立されている。

2000年(平成12年)に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。

最後に

これで沖縄の世界遺産シリーズが終わりになります。

最後まで毎回見て頂いた方ありがとうございます。

今回の園比屋御嶽石門と玉陵は首里城近くにありますので、首里城に観光に行かれる方は首里城を見たあとにでも寄っていってください♪

沖縄には9つの世界遺産があります。

僕もこのコラムを書いていなければ、恥ずかしながら自分が生まれ育った沖縄に9つも世界遺産があること知りませんでした。

なので、沖縄で生まれ育った人もこのコラムを読んで一度、沖縄の世界遺産に足を運んでほしいです。

どこか遊びに行ったついでや、おばあちゃんちに行ったついで、ドライブがてらなど、まだまだ知らない沖縄があると思います♪

その帰りで良いので、僕らアイエー住宅販売がやっている見学会にも寄ってください!笑

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