沖縄の世界遺産~勝連城跡~

こんにちは!!アイエー住宅販売です!!

勝連城をめぐるさまざまな人間ドラマと合わせて、その楽しみ方をご紹介していきます♪

第4弾 沖縄の世界遺産 勝連城跡

沖縄本島の東海岸にある勝連半島の付け根の丘陵に位置する勝連城は、高低差を活かした城づくりが特徴の城で、10代にわたり按司(あじ。地域の首長のこと)によって治められてきたが、10代の城主、阿麻和利(あまわり)の治世が最盛期でした。

地の利を活かした中継貿易で経済力と軍事力を持ち、首里王府とは別の道を歩もうとするが、最終的に王府の軍勢によって滅ぼされ、衰退していきました。

世界遺産に登録され、海中道路などとともに、中部有数の観光地として多くの観光客でにぎわっています♪

沖縄の古謡(おもろ)にも謡われた最後の名城

勝連半島の東西に、細長く延びた形で築かれた勝連城。

進貢船(しんこうせん。中国の王朝との交易や使節派遣のための船のこと)によく似たその形から「進貢船のグスク」とも呼ばれているが、この異名は交易がさかんだった勝連城の事をうまく表現しています。いまだ発掘調査が進められている段階ではあるが、沖縄有数の規模と歴史をもつ名城だ。

また、勝連城の最も高い場所にある一の曲輪(いちのくるわ。城郭内にある区画のこと)は、標高約98メートルで、南は知念半島から北は山原(やんばる)までを見渡すことができます。勝連城からの眺めはとても美しく、北の金武(きん)湾、南の中城(なかぐすく)湾に挟まれた勝連半島に築かれた勝連城は、まるで海に浮かんだ城のようにも感じられます。脈々と続く沖縄の山並みが視界に広がり訪れた人の心を奪う。

勝連城のはじまりは、13世紀頃と考えられている。中国製陶器が発掘されたり、防御施設である柵列が見つかったりしており、この辺りに多くの人々が居住し、指導者がいたことがうかがえる。

城主として最も有名なのは、最後の按司となる10代目の阿麻和利だ。彼は肝高(ちむたき。英雄のこと)として人々に讃えられた名君で、増築を繰り返すなどとして、勝連城を現在の姿まで発展させた。

勝連城滅亡にまつわる人間ドラマ

今なお、英雄として高く評価されている阿麻和利には、名君としての逸話が多い。城主としての阿麻和利が推し進めたのが貿易だ。螺鈿(らでん)細工に使用する貝の輸出や、中継貿易の拠点として活動し、莫大な富を築いたと考えられている。注目すべきは、一の曲輪(いちのくるわ)の宝物庫、二の曲輪(にのくるわ)の舎殿から、大和系・高麗系の灰色瓦が出土していることだ。

本土や中国大陸から技術導入した可能性もあるが、おそらく輸入したものと考えられる。沖縄のグスクで瓦が出土しているのは首里城と浦添城と勝連城だけで、王城に匹敵するほどの経済力や軍事力を持っていたという証拠なのだ。

こうして勢力を伸ばした阿麻和利を恐れた琉球王国の国王、尚泰久(しょうたいきゅう)は、名将として知られていた護佐丸(ごさまる)を中城城に派遣して、防波堤の役割をさせた。

そして、自らの娘の百度踏揚(ももとふみあがり)を嫁がせる。しかし、若き阿麻和利の野望は止まらず、護佐丸の中城城を滅ぼし、さらには首里攻略の準備を進めた。この動きを察知した百度踏揚は、命からがら勝連城を脱出。首里城に危急を知らせ、首里軍と勝連軍による籠城戦が繰り広げられることになるが、勝連軍はついに陥落してしまう。

この伝説には諸説あるが、史料は残っていない。ぜひ一の曲輪に立って、歴史上の登場人物たちの思いを感じてみてほしいです。

最後に

勝連城跡に寄った際には、海中道路に行くのもオススメです!!

海中道路と言っても、海の中を通っている道路じゃなくて、海の上を通っている道路ですが、晴れた日のドライブには最高に気持ちが良いと思いますので是非行ってみてください♪

また、勝連城跡があるうるま市には、僕たちアイエー住宅販売が行っている、現地見学会も毎週土日開催しているので、是非お越しください♪

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平日のお昼や夜も見学可能ですので、その際は下記の連絡先までご連絡お願い致します!!

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