沖縄の世界遺産~斎場御嶽②~

はいさい!アイエー住宅販売です!

日差しが強くなってきて、夏が近づいてきましたね!

今回も前回に引き続き、斎場御嶽のことについて、熱く語りたいと思います。

沖縄の世界遺産 斎場御嶽

訪れる前に済ませておきたいこと

「斎」の字を国語辞典で調べてみると、「心身を清めて神に仕えること。また、その人。」という意味があるようです。斎場御嶽は、元来そのような神聖な場所。重要な儀式の度に、神の島(久高島)からわざわざ砂が運び込まれ、敷き詰められるほどの徹底ぶりでした。ですから、日頃のストレスから開放されてリゾート気分を満喫している旅の途中であっても、それ相応の準備が必要なのです。場に相応しい心構えと身支度で訪れるだけで、あなたにとって斎場御嶽での体験がより満足のいくものになるでしょう。

・目的を考える

最近はパワースポットとして注目を受け、観光名所として定着している斎場御嶽ですが、本来は古くからある祈りの場所で、建物や景観を愛でるための施設ではありません。たくさんの人の想いがつながる聖なる場所なのです。

沖縄の聖地は、何かを願う場所というよりも、感謝の捧げ、神に包まれるための場所なので、訪れたらまず、人としてこの世に生まれ、今ここに生かされていることに感謝をすることからはじめてみましょう。そして、最近のあなたの身の回りのこと、あなたを支えてくれいるすべての人やもの、出来事を、心の中で整理してみましょう。

・心を落ち着かせる

聖なる場所のエネルギーに触れ、感謝の気持ちを正しく伝えるには、心の静寂が何より必要になってきます。

雑念があると、自分が何者かを見失ってしまいます。雑念を払い、心の中をニュートラルに保つことで、本当の自分でいることができます。手を合わせるのは、心を落ち着けて心に中立に保つため。左右上下の中間で手を合わせることで、中庸をキープすることができます。

・正しい身支度

斎場御嶽は聖なる場所ですので、汚れた状態で訪れてはいけません。大事な人と会うときと同じように、身を清め、心を整えてからお邪魔したいものです。

外見だけ綺麗に見せればいいというものではなく、人の目があるから綺麗な身支度をするというものでもなく、自分を常に清く保つことが望ましいといわれています。

場内は滑りやすい箇所もあるので、歩きやすいスニーカーがおすすめです。くれぐれもヒールのついた靴を履いていくことはないように。足元が不安定だと、心を落ち着けることが難しくなり、御嶽で過ごすせっかくの時間が台無しになってしまいます。

沖縄の歴史と深い関わりのある場所 斎場御嶽

沖縄本島の東側は太陽が昇る場所であることから、琉球誕生伝説にまつわる場所が多くあります。また、斎場御嶽周辺は沖縄民族の祖先といわれるアマミキヨが渡来した場所ともいわれています。斎場御嶽に関連する歴史上の人物や場所を知ることで、斎場御嶽をより深く理解することができます。

沖縄の聖なる女性の呼び名

聞得大君とは、沖縄で古くから信じられてきた女性の霊力に対する信仰をもとにした「おなり神」の最高位の呼称。琉球王国最高位の権力者である国王と、王国全土を霊的に守護するものとして崇められてきた存在です。国王の姉妹や王女など、主に王族の女性が国王によって任命され、琉球王国全土の祝女(ノロ)の頂点に立ち、さまざまな儀式を司ってきました。1470年から1875年までの約400年にわたって、15代の聞得大君が琉球王府の神事を支えてきたといわれています。

神がつくった聖なる島

久高島は斎場御嶽の東に位置する小さな島。島の周囲は8キロ足らず、人口は270人程度で、おの多くは高齢者です。琉球開闢(かいびゃく)の祖神、アマミキヨが天から降りて最初につくったといわれ、島の土地は神様からお借りしているものと考えられているため、現在でも私有が認められていません。北部や集落の外など、多くの場所が聖域として大切に守られている島でもあります。誰のものでもない、広くて深い空間が狭い島に広がっているわけです。

12年に一度行われる、名高き祭祀「イザイホー」は昭和53年(1978)以降行われていませんが、島をあげての旧正月や八月マティー、琉球開闢や五穀発祥にまつわる祭祀など、数多くの伝統的な年中行事が今でも行われています。

斎場御嶽周辺の聖地を巡る神拝の儀式

琉球民族の祖といわれるアマミキヨ族が渡来し、住みついたと伝えられる知念・玉城の聖地を巡拝する神拝の行事が、東御廻り(あがりうまーい)です。もともとは国王の巡礼から始まったといわれ、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事であったと考えられています。

首里城を中心に、大里・佐敷・知念・玉城のそれぞれの間切り(まぎり。琉球王国時代の行政区分のこと)を東四間切、または東方(あがりかた)と呼ぶことから、知念・玉城の拝所巡礼は東廻りと呼ばれてきました。

代々、琉球王国は麦の穂が出る旧暦2月には久高島へ行幸し、稲の穂が出る旧暦4月には知念、玉城の御嶽を巡ったといわれています。久高島は麦の発祥地、同じく知念のウファカルと、玉城の受水走水(うきんじゅはいんじゅ)は米の発祥地として、国王及び聞得大君が参詣したことから、これが「東御廻り」の原型となったのです。このならわしが王族から士族、民間へと広まって、いつしか島の人々は老いも若きもこの巡礼の道をたどるようになりました。

最後に

斎場御嶽は沖縄の歴史ととても深い関わりのある場所で、琉球王国の時代から現在まで沖縄の人々の心の拠り所だったんですね。

今でも自然に囲まれていて、行ってみるととても神秘的な空間を醸し出している斎場御嶽。

みなさんも一度、心を落ち着かせて、清らかな気持ちで訪れてみてはいかがでしょうか。

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