泡盛の歴史~その2~

あけましておめでとうございます!アイエー住宅販売 長嶺です。毎年この時期になると「絶対痩せる!今年こそ!」と思っているが、一か月も続かないあの長嶺です。去年は続かないというか「一年365日もあるんだから6月からダイエットしよう!」と思い、結局、ダイエットは始まりもしませんでした(笑)

さて、去年、最後のコラムは泡盛の歴史~その1~でしたが、今年、最初のコラムはもちろん泡盛の歴史~その2~です。去年、その1を書いているときは「泡盛の歴史について全然、書けていない!」と思いましたが、すでに~その2~で何を書こうと思っていたのか忘れてしまいました。きっと忘年会のせいですね(笑)

という事で必死に思い出して書いてみました。

第一次泡盛ブーム?

その1で書きましたが、泡盛は徳川幕府への献上品とされていました。お酒なので、飲むのはもちろんですが、薬としても重宝されていたそうです。刀傷の消毒、胸の痞え、腹痛、回虫をを殺す、利尿作用等、さまざまな効能があると薬として利用されていました。各藩では泡盛が手に入るのを待ちきれず、日本酒の粕を蒸留した粕取焼酎を常備させていたそうです。徳川家康は、娘の嫁入り道具に泡盛壺を持たせたという逸話もあるほどです。

その時代は薩摩藩も泡盛を造っていて、琉球国の泡盛と同じく徳川幕府への献上品とされていましたが、琉球国とはっきりと区別されていたそうです。1600年代の武将や家臣の言葉などを記録した「明良洪範」という史書には「泡盛酒は薩摩州にても造れども、琉球には及ばず・・・」と書かれています。なんだか沖縄県民としては嬉しくなりますね。

そういえば僕の子供のころにも、火傷や怪我をしたら、祖母が泡盛を塗ってくれました。もしかしたら、少し前までは沖縄でも薬として利用されていたのかもしれませんね。

世界の偉人にも飲まれた泡盛

琉球王朝時代、泡盛は外国からの来訪者を接待するためにも飲まれていました。様々な国から訪れた来訪者も泡盛の印象を記録として残しています。その中には黒船で浦賀に来訪したアメリカのペリー提督もいました。

クリックすると新しいウィンドウで開きます

ペリーが琉球に上陸したのは1853年のこと、浦賀に入港する前に琉球に訪れたそうです。琉球側は何度も交渉を断ったが、脅されて仕方なくペリーを晩餐会に招待します。その時の事を秘書官のテイラーが「日本遠征紀」に「まろやかに熟し、きつくて甘く、ドロリとした舌触り。フランスのリキュールに似ていた」と書いていたそうです。

バジル・ホールも1816年に来琉し琉球の王子と泡盛を酌み交わしたそうです。バジル・ホールは「大琉球島航海探検記」に「王子の卓では盃の応酬は少なかったが、他の卓では、あらゆる口実をもうけてサキの壺を回しては乾杯が繰り返された。サキはそれほど強くなかったが、きわめて質が良く、強いられるまでもなく盃が乾された」と書いています。

クリックすると新しいウィンドウで開きます

「バジル・ホールって誰?」って思う人も多いと思いますが、僕もその一人です(笑)バジル・ホールはセントヘレナ島に幽閉されていたナポレオン皇帝に面会し、「世界には武器を一切持たない国がある」と琉球の話をして、皇帝を驚かせた事で有名だそうです。この話を聞いてちょっとほっこりしました。

肩をすくめるナポレオン「HAHHA!武器を持たない国だって?君はその泡盛というサキを飲みすぎたようだな」(注)僕の勝手な想像です。

まとめ

前回も書きましたが、僕はお酒が弱いわけではないのですが、好きじゃありません。でも、泡盛について調べたら、沖縄県民として泡盛が誇らしく感じて、ちょっと泡盛が好きになれそうです。

なんとか書きたかった事を思い出しながら書いてみました。うーん、もっと書きたいことがあったはずですが…また、思い出したら書きますね。