琉球政府って知っていますか?復帰前の沖縄は切手もナンバープレートも特別仕様だった!?

「琉球」とは現在の沖縄県を指す呼び名で、明治時代よりも前に使われていました。なんて事は、おそらく皆さんも知っていますよね!でも「琉球王国」は知っていても「琉球政府」は知らない、と言う方も多いのではないでしょうか?私自身「琉球」=「琉球王国」という感覚でいました。ところが小学生の頃、母に見せてもらった兄の母子手帳にビックリ!

私の兄は沖縄が本土復帰する前に生まれているのですが、だからって「琉球政府!?昭和だよね?王国じゃないよね??」と驚いてしまいました。「復帰前の沖縄はアメリカ統治下にあった」という事は認識していたのですが、やはり「琉球」というネーミングに困惑したのです。

「琉球ってとっても昔の名前じゃないの?」と母に尋ねたると「復帰前は、沖縄だけど琉球政府だったよ。なんでかねぇ。」と沖縄人らしい返事でした。今でもその時のことを時々思い出すのですが、そう言えば復帰前の沖縄には、本土には無い独特な出来事が結構ありましたね。

そこで、個人的に気になった「復帰前の沖縄イロイロ」をご紹介します!

沖縄の歴史:通貨は「円」じゃなくて「ドル」だった!

太平洋戦争終結後、本土復帰する1972年までアメリカの統治下にあった沖縄は、使われている通貨も「円」ではなく「ドル」でした(1958年以前は『B円』や『日本円』を使っていた時期もあったそうです)。私の姉も「ドルを持ってお使いに行った」と話していました。

当時は1ドル=360円だったそうです。復帰後は「ドル」から「円」に移行するのですが、かなりのドル高だったようで「少額のドルを円に替えたら、高額になった。それで、借金を全額返済できたんだよ」と、年配の方から聞いたことがあります。

切手も琉球政府仕様!

日本の通貨が使えない沖縄では、切手もやはり「ドル仕様」だったようですね。「5¢」の文字と「琉球郵便」の漢字の組み合わせが何とも言えません。

パスポートがないと内地に行けない!

ちょうど東京オリンピックが開催されていた頃、私の母は東京の学校に通っていました。沖縄出身の母は、もちろんパスポートを持って東京へ行ったのです。母が沖縄出身だと聞いた同級生達は「日本語、話せるの?」と母に尋ねてきたそうです。

残念ながら母のパスポートは残っていませんでしたが、面白いものが残っていました。
左が「予防接種証明書」、右が「渡航証明書」です。この2つを、パスポートと一緒にいつも持ち歩いていたそうです。沖縄は本当に外国だったのですね。

交通ルールもアメリカン

「730(ななさんまる)」という言葉をご存知の方もいらっしゃると思いますが、アメリカ統治下の沖縄は、交通ルールもアメリカ仕様でした。走っている車は、左ハンドルの右側通行です。こちらは「復帰と同時に日本仕様」と言う訳にはいかず、復帰から6年後の1973年に日本と同じ左側通行に移行しました。この交通ルールを変更した日が7月30日だった為、県民は「ななさんまる」を合言葉に準備を進めたのだそうです。

ちなみに復帰前は、ナンバープレートも琉球政府仕様だったようです。地域によって表記の仕方が違っていたんですね。(写真上が沖縄本島、下が与那国島のナンバー)

まとめ

こうして見るだけでも、本土復帰前の沖縄にはいろんな「そうだったのか!」が隠されていますね。時代のドタバタの中で、うちなーんちゅが色んな経験をしたことが分かります。 今でも県外の方と話をすると「沖縄って外国かも・・・」と感じる事が多々あります。経済格差や基地問題など暗い事もありますが、日本のどこにもない自然環境や人間性など、良い所もいっぱいです。昔を懐かしみつつ、沖縄の明るい未来を期待することろです!